1952年【22団発足】

 昭和27年(1952年)、京都第16団(当 時16隊)の指導者によって東海道線以南の吉祥 院学区で増隊することが決定され、その準備に 田直吉氏、吉川隆蔵氏、藤田 勇氏の三氏があた ることになりました。

 7月に準備隊が結成され、その年の12月20 日に吉祥院小学校において『命名式』を挙行。

 ここに京都第22団(当時22隊)が誕生 当時、吉川隆蔵隊長以下18名の隊員で、その第 一歩をしるしました。



1963年【カブ隊発足】

 しかしスカウトの減少傾向が問題になり、それ に対して、この頃以前より検討されていたカブ隊 の発隊がようやく具体化し、創立10周年式典に おいて準備隊が結成され、翌昭和38年(19 63年)に横井政治氏(元団委員長)を隊長とし てカブ隊が正式に発隊しました。

 そして、このカブ隊によって順調に上進者を迎 えることとなりボーイ隊は以前の活発な姿を取り 戻すことになりました。




1967年【15周年】


 昭和42年の創立15周年吉田照子氏(吉 田昭夫元団委員長の奥様、元デンマザー)の作詞 に友団第18団の森田育孝氏が作曲にご協力いた だき、団歌ができました。




1968年【ベンチャー隊発足】

 また、カブ隊、ボーイ隊の発展に伴い、昭和4 3年にはシニア隊(現ベンチャー隊)が発隊



1973年【ローバー隊発足】
昭和48年にはローバー隊がそれぞれ発隊し、団 としての姿が整いました。



【ビーバー隊発足】

 その後、スカウトの数が増え、一時は分団さえ 囁かれることもありましたが、昭和から平成にか け、子供たちの取り囲む環境が著しく変化し、 またも、スカウト数の減少が大きな問題となりま した。

 時期を同じくして、日本連盟の指導のもと、各 地でビーバー隊の発隊があり、第22団としても スカウト数を増やそうとカブ隊の副長であった 部正憲氏(現カブ隊隊長)や、山本たつゑ氏 (現ビーバー隊副長)らの協力を仰ぎビーバー 隊の発隊をするに至りました。

 手探りの指導が始まりましたが、多くのスカウ トを迎え入れることができ、第22団にまた活気 が戻ってきました。



【富士章修得】

良いことは続くもので、竹内道弘氏
(現BS隊副長)の指導のもと、
平成8年3月に熊澤政士君が
第22団で始めて富士章を修得
平成16年中野賢太君
平成19年7月に馬杉一喜君(現BS隊隊長)
平成19年10月に舟木孝志君
平成28年1月に咲花杏香さん
が後に続き当団では5名が取得しています。



2003年【50周年記念】

 50歳の誕生日には静原キャンプ場まで遠路友 団やOBの方々に出席をいただき、一緒にお祝い し、翌年に『府民の森・日吉』で記念のキャンプ を一家全員で賑やかに開催しました。



2018年【65周年】

 こうして、吉祥院の一角で産声をあげた第22 団も、平成30年(2018年)12月20日に 65周年を数えるまでになりました。

 この65周年を振り返れば、決して平坦な道のり ではありませんでした。

 数多くの難関にぶつかりましたが、その中でも 特にスカウト数の減少が大きな問題でありまし た。

 減少の著しい時には団の存続が危ぶまれる事態 までになりました。

 ある時にはスカウト数よりもテントの数が多く 『テントを一張づつ持って解散するか』などと冗 談が飛び交うこともありました。



【スカウトの成長】

 月日が流れるのは早いもので、初代ビーバース カウトが今や、ローバー年代に成長し、各隊リ ーダーとして、先輩方の指導を受けながら、後輩 たちの面倒を見、その姿は見違える様でありま す。



【活動の拠点 吉祥院天満宮】

 また、第22団は発団当初から吉祥院天満宮の 境内を活動の中心としており、吉祥院天満宮はシ ンボル的存在となっております。



【天満宮由来のチーフ】

 我々京都第22団の赤と緑のチーフは
(初代ボーイ隊隊長−吉川隆蔵氏デザイン)この
天満宮に由来しております。
 赤は天満宮の紋である梅の花
の色であり、緑は天満宮に茂る
緑の木々からとったものであり
ます。
 そしてまた、この場所で学んだスカウティング
を身に付け、天満宮の祭神である菅原道真公の様
な立派な人になり、社会の為に役立つ人になって
ほしいと言う願いも含まれています。



【第22団の発展を誓う】

 この願いを今一度、深く噛みしめて第22団一
家全員でより一層スカウティングに励み、先輩諸
氏の大きな努力によって築かれ残された伝統と歴
史を団歌のように受け継いで行く事を誓いま
す。